オヤケアカハチは、漢字で「遠弥計赤蜂」もしくは「於屋計赤蜂」などと表記されます。
また「保武川」「堀川原」「保武瓦」などと表され、「ホンガワラ」とも呼ばれました。
幼い子供の時から、才知・武勇に並外れて優れていたオヤケアカハチは、波照間島で生まれましたが石垣島の大浜村に移り住み、有力な豪族に成長します。
石垣村の豪族の妹と結婚したオヤケアカハチは、さらに勢力を大きなものにしますが、宮古諸島の仲宗根豊見親と衝突してしまいます。
やがて首里の尚真王が乗り出すことになるのですが、首里王府にはむかったということで、オヤケアカハチの乱と呼ばれる戦争にまでなってしまいました。
尚真王が出兵させた3000人という兵士の前で、オヤケアカハチは敗れて殺されてしまうのです。
なお、オヤケアカハチの城跡とされる「フルスト原遺跡」という場所が、石垣島に残されているのです。
スポンサードリンク
オヤケアカハチとは
< 前の記事 オヤケアカハチの一生 | トップページ | 次の記事 モスラ2海底の大決戦とは >
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://choitech.80code.com/mt/mt-tb.cgi/3014
